11月になった…
まだやらないといけないことも多くて
ゆっくりできそうにないけれど
7日は快晴の空の下
奈良県の川口由一さんの学びの会に参加してきた…
神戸で自然農の学びの場を主宰する信吾さんと
神戸の畑仲間たちと一緒に…
神戸からの参加者だけでもすごい人数だったけど
川口さんの学びの時間にはその何倍にも人数が膨れ上がっていた…
同じ空間で感じることがある…
言葉は遮られるけれど
この空間にある【モノ】は感じることができる…
柄にもなく沢山の写真を撮った…
今年初めて米を作り
野菜の栽培は上手くいかなかった…
畑の姿は自分の心の現れ…
その言葉が頭を過る…
来年は背伸びせずに
米だけに集中しようかとも思う…
だけど…きっと…また学びの畑で
畑の仲間と話をしたり
学びあったり
助け合ったり
そんな一年になるのだろう…
色んな言葉が頭に残り
それは自分を成長させてくれ
また 不確かな自分に
軸を与えてくれるように思う…
普段の自身の活動でも
自然環境に重きを置き
取り組んでいることが多い…
川口さんの自然農もやはり観点は同じで
多様な命が織りなす世界の話…
それは残酷でもあり
けれど豊かさも兼ね備えている…
わたくしたちは常に
【命のやり取り】の上に生きている…
それは自然界もそうである…
どの命にも価値はあり
また 価値はない…
命なその寿命を全うしようとするだけ…
人はどうなのだろうね…
この日も心をひきつける感覚があった…
美醜について【芸術】の観点からお話しいただいた…
古き時代に心惹かれるのは
其処に素朴な美が存在したからだろうか…
醜悪なモノに惹かれるようになるのは
それを受け入れないと潰れそうな自分がいるのじゃないか?
そんな風に人の心を考えてしまう…
わたくしは素直に美しいものが好きである…
その美しさは70歳手前の農夫が流す汗にも感じることがある…
その対極にある【あざとさ】を感じてしまったときは
寂しい気持ちになってしまう…
言葉はあまり信用しない…
その人の行動は信じられる…
常に正解であることは実は大切な事ではなく
正解にたどり着こうという在り方が大切だと思う…
佐藤初女さんの書籍にあった言葉で
【面倒くさい】という言葉があまり好きではないと言う…
誰もが自分に向かって【面倒くさい】と言われたら悲しむでしょう?
そんな文脈で書かれていたと記憶している…
だから初女さんは【面倒くさい】という言葉を使わなかったらしい…
その言葉と出会ってからわたくし自身も出来るだけ
その【面倒くさい】を使わないようにしている…
使わずとも そもそも人と向き合っていくという事は
面倒な事なのだと思っているからかもしれない…
だけど その面倒な事の中にも
心が晴れやかになる瞬間や
魂が救われる言葉があり
そんな人と人との繋がりはやはり代えがたい物なのである…
ここのところ…
信頼し尊敬できる人たちがある一点に向かって動き始めた気がしている…
それはもしかしたら人の本能が成せることなのかもしれないな…
そんな風に感じながら
自分自身も心に素直に
向き合っている…
今 自分がする 仕事は
【この場面では何なのか?】
事務所に戻るとパソコンの前には
書類が山になっている…
焦りはないが粛々と作成し
届ける作業…
心は穏やかである…