2019年07月14日

徒然なるままに…想うこと…

今月21日が参議院選挙の投票日…
その日まではSNSも選挙ネタで大賑わいである…
日頃の活動がどちらかというとそういったことに寄っているので
致し方ない…

もちろん 嫌なことではない…

自身 目に止まる 『これは!』と思う記事はシェアしている…

昔 お店をやっているとき(今もほそぼそとやっているが)いろんな人に受けた忠告…

政治 宗教 野球の話はお客さんとしないほうがいい…

何故かそんなことを忠言してくれた…

まぁ…そんなことを言われたからといって素直に従うタイプでもないので
その忠言は無駄に終わりお客さんと夜中のBAR営業時間にバトルこともしばしばあったが(笑)

そもそも何故そのような発言があるのだろうか?

お客さんはお金を払って来ているのだから気分を害してはいけない

とか

お客さんに私見を押し付けて議論するなどもってのほか

とか

そう言う意識があるのかな?

それを言うなら同じタイミングで飲みに来ている人への配慮はどうなる?

声のでかい人が言う持論を違う考えを持つ大人しい人は聞くしかない?

店の中で割とそういう場面があった…

個人的には自分の考え方を言う事はそれほど悪いことと思っていない…
店の店主であっても お客さんとして行った店であっても…

少しだけ 嫌 だと思うことは誰かの考え方や思想を否定する発言に変わる瞬間…

それは少し嫌な感じがする…

自分の 正しい を証明するために
誰かの 正しい を否定する…

今回の選挙でも動画配信のコメントや投稿内でまだまだ多く見受けられる…

これは簡単なことで解決できるのに…
と 思いつつも
発言している人たちは解決する気はないことも知っている…

そう…

無責任に発言し
無責任に人を中傷し
無責任に誰かを悪者にしている…

そんな風に感じるのだが…

今回の選挙で 当事者 になる覚悟で立候補しているのだろうと見受けられる人が
数多くいると感じている…
あやふやな言い方ではあるが
その真意は当人しかわからないから
こういう言い方になる…

上辺だけの物言いなのか
それとも
心の底からの物言いなのか…

それも個人の感ずるところだから
わからないところ…

それであっても信じて良いと思える人の言葉には力があると思う…

当事者になる覚悟がない人が

正しいだとか間違いだとか言うことがそもそも少し子どもじみていると思う…
(子どもを蔑んでいる意味ではありません むしろ子どもの方が直感的に正しいことが多くあることは理解しています)

社会課題を解決しようと考え始めた時にぶつかる 幾つかの壁…

経済 承認欲求 権威 etc…

大きく分けると三つとか四つとか…

このどれもが実は問題を起こした当事者にも
問題と唱える活動側にもある…
(わかりやすく書いています)

経済については
貧富 貧困 搾取 制度など関わりの中で生まれる事柄…
多くを所有する方が優だという概念があるのだろう…
そこに向かって歩く道中…
いろんなところで篩にかけられ
誰か一人になるまでの勝ち抜き合戦をやっている感じ…
その篩から落とされたから課題だと謳うのか…
そもそもその方法論がおかしいと唱えるのか…
その人の生き様がそれを教えてくれる…


承認欲求はどういった立場の人であっても
その出来上がったコミュニティーの中で得たいという
欲求がその人の行動と発言に見受けられる…
ちなみに承認欲求については悪いものだとは思っていない…
誰かに承認されたいという欲求はおそらく誰でもあるのだろう…
問題と思うのは…

誰に 承認されたいのかが分かっていない承認欲求…

その承認欲求は出口のない欲求となり
とどまるところを知らない暴走列車になることがある…

コミュニティーの構築にもこの理屈は影響し
承認欲求が強い人の集まりに集う人はやはり承認欲求が強い人となるケースが多く見受けられる…

権威についても際限のない欲求であると考えている…
そしてそれらの問題の根底に有る原因と思えることは
市民側にも有って 経済的に豊かな人との関わり方 や
承認欲求の強い人との関わり方 や 権威主義の人との関わり方 
に表れる…



おそらく永きに渡って人は
そうやって自分自身が如何なる人か?を表してきたのだろう…

特別な誰か で居たいと思うのと
多くの中の只の一人との違いかな…

これについては自分自身(ヒデちゃん)は


特別な一人であり 多くの中の只の一人


という考えで腑に落ちている…



誰かにとっては特別であり
誰かにとっては多くの中のひとりである…

そんなところか…



誰かにとっては特別な一人

というものの存在が有ると

多くの中の一人であることも受け入れられる感覚を得れる…

まぁ…徒然なので…こんな感じです…







愛についてのお話をしてみよう…

先日 ある告白を頂いた…

といっても『あなたのことが好きです』のようなものではない…

『いま この人とお付き合いしています』
と告げられ「おめでとう 良かったね」
と返した…

愛かどうかはこれからの時間をかけて知っていくことになるのだろうが
先ずはおめでとうと思う…

そして愛について自分なりに考えながら
カレーを仕込んでいたのである…

愛…

そもそもいろんな概念が有り
どれが正しいとかのお話ではない…

自分が深掘りし
自分自身の中で腑に落ちたお話なので
何とも言えないが…

そもそも

深く愛する

という事を知るために

愛するのだろうか?
と考えてしまった…

例えば

自分の命を投げ捨ててでも
救いたい命の存在

とか…

自分に置き換えると
わたくしにはそういった何者にも代え難い命の存在が幾つかある…

家族とか…

妻も子どももその代え難い命である…

なんとなく考えていてそこにたどり着くために
人は 代え難い命の存在 に出会うために 愛 するのかと感じている…

この 愛 の対象は 自分と違う命 であると考えている…
猫の場合もあるだろうし
犬の場合もあるだろうし
同性の場合もあるだろうし
樹木や自然の場合もあるだろう…

そう考えると凄く腑に落ちることが多々有り
なるほど!!と唸った…

まだ言葉にするには整理できていない…


そんなお話もいつかできればと思う…


今日は日曜日…

これから友人が飲みに来る…

今日は少し
お酒を飲みながら
未来のお話をしたいと思う…




posted by MASH@ヒデ at 12:28| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
マインドフルネスではマインドフルネスイーティングをします。眼前の料理がどれだけの方々の労働によって、今この前にあるかを思い感謝して一口、一口、五感に届くようにいただきます。(禅でも食前に唱える五観の偈がありますね))あるとき食べている大根、ニンジンの「いのち」が私の「いのち」をつなげてくれていると思うとその「いのち」にたいして、今まで当たり前にしてきたこと(太陽の光も空気も雨の水も・・・)に愕然としそれ以来は「いのち」の元(自然の摂理;サムシンググレート)に感謝せずにはいられない日々となりました。
Posted by 山口雅子 at 2019年07月14日 13:04
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