空き地の中に入った時は
ススキと苔と成長期の松数本と松の若木があるだけだった…
35年間放置されてきた造成地であっても
草も樹も堆肥になることはないのだね…
ガラガラの固い地盤の上に何とか根っこを張って
育とうとする松の木と枯れてしまう松の木
けやき坂という地名だけれど
その空き地で根付いた大きな松は
この公園のシンボルとして
敬意をもって残させていただく…
工事の準備に入ってから
先日まで緑の奇麗な松だったのに
その松以外はすべて枯れていった…
不思議な現象…
切られることが分かっていたのかな…
樹にも感情があると考えているわたくしは
そう思っている…
代わりにシンボルの松も活きる
公園づくりをしようと改めて思う…
小浜の拠点づくり…
中々思うようにはいかない…
考えていた予定は難しくなったけど
それでもへこたれずに自力でやりますよ…
自力でもないけど(笑)
来年は足しげく小浜に通うことになるね…
また手前改装を行います…
DIY好きな方は一緒に行きましょう…
大体の道具はそろったので
改装やりやすいと思います…
来月に入ったら直ぐに小浜に行く…
打ち合わせがいよいよ始まる…
ツリーハウスも作りたいし
隣接する敷地に自然農の畑も作りたい…
河に降りていく階段も作りたいし
出来れば蔵の跡地には東屋も作りたい…
訪れたくなるような場所…
わたくしたちが行っている
取り組んでいることは少し見えにくいかもしれない…
決して少し話を聞いただけでは理解しがたい…
何故なら目指す未来からの因数分解で辿り着ける取り組みだから…
その未来の絵面が違えば
因数分解して今現在
何に取り組めばいいのか?
その答えは自ずと変わってくる…
イマジネーションする力
頭の中で絵を描く力
取り組みの本質と筋道をしっかりと理解できる頭
そして最も重要なことは
わかったつもりになって聞かないことなのだと
本当に常々思うこと…
何かしらの経験を重ねてきた人ほど
そういった傾向になるのだが…
わかったふりではないのだろうね…
おそらく話を聞いている中で
自分流に想像してしまって
わかったと勘違いして
絵面が違ってくるのだろうね…
だから人の話は最後まで聞いて
細かいディティールまで理解できるように
質問を繰り返す事が大切…
過去の自分もきっと
わかったつもりで生きてきた…
人は何にもわかっていないし
わかっていなくていい…
ただ 目の前に投げられた提案が
あなたにとって正しいか正しくないかだけ
そしてその選択が自分の周りにまで波及した時に
それが正しいか正しくないかだけ
その判断だけをその場では行えばいいと感じている…
感性という言葉に置き換えてもいい…
その あなたの感性 が選択する事柄が
周囲にまで波及する可能性があることは忘れてはいけない…
だからこそ普段から感性を磨きながら
選択し精査していくのですよ…
正しかったかな?
正しくなかったかな?
その答えは少し先にあるから…
今は選択した自分を信じてやり切るだけ…
いつも 大きな提案をした後は怖さを覚える…
そしてそれが具現化していく道中はさらに怖さが増す…
それに取り掛かり始まってしまえば
怖さよりも楽しさを感じ始め
取り組みが楽しくなる…
その繰り返し…
そして少し先に進んだ後に
振り返ってみたら
いつもそこには心地良い人間関係が残る…
去年よりも今年…
きっと今年よりも来年となっていくだろう…
今 取り組んでいることは
まぎれもなくこれからの世の中に必要なことで
仕組みから変えていかなければいけない事
関係性から変えていかなければいけない事
そしてそれぞれの人そのものが変わっていかなければ
辿り着けないようなこと…
だから理想論を述べ
それを論ではなく現実にするためにやっているのだ…
耳にタコが出来るほど聞かされている…
タコが出来たことはないが…
理想はそうかもしれないけれど
現実はこうだからねー
わかってます(笑)
だから理想に向かうのですよ…
理想を目指さずに
現実はこうだから
現実に即した手法を
何万回やったって
多分何も変わらないだろう…
否…
その手法で変えたいという人を止めやしない…
ただ わたくしはそれでは間に合わないと思っているだけ…
ただそれだけの違いです…
目指したい場所の地図は
持って出たはずだけれど
いつの間にか疲れた足を休ませ
減った腹を満たし
目的地に着くことをあきらめたかのように
ただ ただ 目指している風を演じる…
それに何か意味はあるのかい?
わたくしはやはり 実践者しか信じない…