2020年10月19日

徒然なるままに…旧体制と未来型思考…

地域コミュニティーの再構築という呼び名で活動することが有る…

コミュニティー創りとは言わない…
コミュニティーは既にある…
ただし…何かの出来事やこれまでの流れで分断されていたり
ボタンの掛け違いが更なる分断を生み出して...






心掛けている自分の思想がある...






『謝る』ということ...




何でもかんでも謝れば済むという意味ではなく
確信してやったことだとしても全てうまくいくとは限らない...
約束していた取り組みも結果を出せるとは限らない...

その過程で真剣に真摯に取り組んだかどうか?
それは見られている...

それでも答えを導き出せなかった時は
素直に謝ること...

簡単なことだけれどなかなかできない...

責められる怖さか...
はたまた否定されることへの拒絶か…

いずれにしても謝らないことが生み出す軋轢やボタンの掛け違いの多いことよ…

納得できないことも多々あるだろうが
謝ることで進むことも多々あるのだ…

わたくしは自分自身が空になっているので
あまりその辺のことに関しては拘りがない…

謝って事が進むならばいくらでも謝る…

何が気に食わないのかわからない事であっても
割と素直に謝る…

概ねの人はその人のことを認めたくないと思っていても
殺されるほど憎まれる事も中々無い…

殺されないのであれば
謝って済むのであれば
そして…
その次に進めるのであれば
その場は謝っておけばいい…

目的が【この山に登ること】なのであれば
謝らずに登れないという選択ではなく
謝ってでも上るという選択をお勧めする…


登り切った後に責めてきた人が氣づくこともあるだろうし
自分自身の心の中が澄み渡るときもある…

目標 目的を忘れさせられてしまうことが
最も問題である…

凡その人は何か出来る人と出会うとそれ以上を求めてしまう…
自分よりできることを持つ人と出会うとどれだけできるのかを試してしまう…

そして出来ないことが見つかるまで傍にいて
出来ないことを見つけると評論家に回る…

出来ないことがフォーカスされてしまうのだ…

そんな時にいつも謝っている人であれば
そんな風にならない…

なぜならいつも 謝らなければいけないことをしている人 という風に映るから…

その反面 その人の必要性は相手方が勝手に決めてくれる…

必要性が重要なのではなく
真理に向かっていれば必要な時が必ず生まれ
相手方が勝手に悟るのだ…

【完璧な人はいない】ということを…

だから完璧な人を演じたり
そこを目指したりすることが
実はそういった現状を作り出していると氣づく…

相手方だけに問題 原因があるのではなく
自分自身の心の持ち様にも問題があったことを知らされる…

人生が続く間に
まだ健康に生きている間に
それに氣づけるかどうか…
割と重要な要素…

それに氣づけた人は
コミュニティーの大切さを学び
コミュニティーの意味を理解し始める…

コミュニティーとは
【自分が居心地のいい空間】ではなく
【誰でもがいることのできる空間】であり
【食い違ったとしても争わない空間】だと
学び始めた…

多様性のあるコミュニティーは強靭である

一つの思考 思想に捉われるコミュニティーは脆弱である…

それは地域のコミュニティーであっても
SNSなどのネットの世界であっても同じ…

受け入れて対話を重ねながら
お互いの方法でより良い世界を目指す…
その方法について競い合うのは
コミュニティーにとって良いことであればやればいいし
どちらかの意見だけが救われ
どちらかの意見が排除されるような競い合いなら
やめればいい…

そんなことを考えている今日…
posted by MASH@ヒデ at 20:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月08日

徒然なるままに…そう言うことだったのか…と…

昨日はYouTubeに上げていく動画の撮影(試験撮影と試験編集のための)…

映像が好きな若者と知り合い 今に至る…

自身にこだわりがあり 構図などもお任せ…
わたくしにはこだわりが無いので 良い組み合わせ…

試験的に撮影した動画 19分のお話をどうまとめるのか…
楽しみである…

それにもましてハチノスにある元質蔵がこんな風に活きてくるとは…

撮影したものを編集前の段階で一緒に観ながら
「これは良いね」とか
『これ大丈夫かな?』とか
親子ほどの年の差がある二人でやっている…

正直 想像以上に画像も良く
映像のバランスも良かった…

いつか映像作品を撮れるんじゃないかな…と思う…

その経験の一つとして今があるなら嬉しい限りだ…

また別の場所で既に動画撮影とYouTubeへの投稿の経験がある人なので

素材がそろえばどうにでもなるそうだ…

アップされていくのが楽しみである…

月に二度ほどの撮影を行い
週に一本程度のアップが出来れば良いかと考えている…

経験からくる氣づき…
経験からくる法則めいたもの…
経験したからこそ辿り着けた思考…

わたくしの曲も何処かで使おうかということになり
今はそれを考えている…

そのあと少し時間があるということだったのと
前回 仲間内で行った麻雀が楽しくその後もウズウズしているという
話が相まって娘を交えて三人打ちで半荘4回ほど…

一回ずつトップが取れてそれなりに楽しい時間…

日ごろからの付き合いの中で生まれてくる新しいアクション…

新しい発見は日常にあるという良い例だろう…




話変わって…



フッと入ってきた思考…

同じ名称で活動するからといって
解決策や方向性は違って当たり前…
それは人が一人一人違うのだから…
だからこそ多様な社会は生まれるし
成立していこうと折り合いをつけていく…

自身の活動は地域に根差したコミュニティーの構築…

一言でいうならばそんな感じの事柄が多いと思う…

【コミュニティー再生のプロ】ではない…
どちらかと言うとその中に入って一緒に作っていくイメージ…
だから目指すところも目指す形も千差万別で
一つの手法があるとかそういったものではない…

似たように社会を変えていく 変えていこうとする活動をしている仲間も多く
それでいて相まみえれない考えの人も多い…

全体への影響 インパクトを見ながら
活動をしているように見える人…

その手法 思考をどうこう言うつもりはない…
それはそれでその人にとってはそれが課題であり
それがやりたいことなのだから行うことが正しいのである…



言いたいことは比較ではなく



「あなたは何処を見てて どんな世界を望みますか?」


と言う観点を出来るだけ早めに氣づくこと…そういった人に触れたときに…
それが分かると誰とどんな風にアクションを起こしていく事が
貴方にとってのストレスにならずに
持続可能な 連動性を内在したアクションになるのか?
其処に思考が働くようになる…



社会全体を視点として行っていく
【全体へのアプローチ】と




自分の身の回りの社会を変えていく
【地域へのアプローチ】は



明らかに違ってて



目指す山は同じだけれど
登山口も違うし
ルートも違うし
山を登るために使える時間も違う

そのようなイメージの話…

『あの山に登ったら気持ちいいだろうね』
と言う言葉は言うけれど一緒には登ってはくれない

とか

『あの山に登るにはこんな装備が有った方が良い』
とは言うけれどその装備は自分で準備し使い方まで自分で学ばなければならない

とか

『あの山に登ることがこんな風に素敵な景色を見せてくれる』
と言いながら違った山に登った時のご自身の話とすり替えていく

とか…

そのような発言をする人の多くは

【全体から社会を変えていくイメージ】に沿って話しているのだと感じるときがある…

おそらく大きくは外れていないだろう…



「あなたは何処を見てて どんな世界を望みますか?」


それをご自身が理解できていないと
誰のどのアクションが【今必要なのか?】の判断が難しくなる…

もちろん 違ったとしてもそれも学びではある…
問題はあなたが「山登りにかけられる時間」も要素になってくるということ

命の永さは永遠ではない…

それを意識した時に
思考は鋭くなっていく…

連動性や波紋の大きさを意識するようになっていく…
敵としない概念や無関心な意識を能動的な意識に変えていく
そんな手法が必要になってくる…

わたくしの場合で言うと


自分の身の回りの社会を変えていく【地域へのアプローチ】がそれら必要な事柄を教えてくれる…


となるわけである…

この場で言う地域社会とはわたくしと関わりを持った地域という概念になるので
それは飛び地のように様々な場所に有る…
そして加えるならば

わたくしとその他はすべて繋がっているという思考思想…

だから安心して全てがそこにある…

と 心から思えるにはまだ少し時間がかかるだろうな(笑)
そうなりたいなーと思いながら生きているわたくしもまた 人間…

まだまだ旅の途中…





posted by MASH@ヒデ at 09:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月06日

徒然なるままに…腑に落ちたこと…

時間の密度が違うから話がかみ合わない…

朝から「なるほど」と思わせてくれる一言…

この「時間の密度」と言うものは
ただただ忙しくバタバタ動いているという
「忙しい」というものとは違う…

…あくまでもわたくし個人の見解ではあるが…

昔から話す事柄に「思考の成長」というものがある…
と言っても…あくまでもわたくしの理論である…勝手な(笑)

思考の根源になるモノ…それがまず「点」として芽生える…
その根源を深めるときに「面」になり広がる…
「面」として広がるうちに その一つの「面」だけでは
その根源を解決したり 達成するには足りないことに氣づく…

それを解決または達成するためにアクションを続けていくと
新たなる「点」が生まれ始める…

その其々の「点」は其々に「面」となる…

その「面」は自身の周りに「円周上に広がる」…

其々の「面」を解決または達成するためにアクションを起こしていくのだが
その方向は「内面」と「外」に向かって同時に進んでいく…

「円周上」に配列されていた解決または達成したかった事柄が
今度は「内面」と「外」と言う「二次元」から「三次元」の思考を促していく…



この場合の思考とはアクションも含めての思考…
アクションが先か思考が先かは重要ではない…



「二次元」から「三次元」に移行する際に
「点」から始まった思考が「面」となり
「面」が多数あることに氣づき
「円周上」に広がり
「内面」と「外」に奥行きを持たせ
やがて思考が「球体」であることに氣づく…

これを「球体の思考」と言う…わたくしが勝手に(笑)

時間の密度の違いがこの「球体の思考」の中で
同じ深度で解決または達成するための思考を行っているかどうか?
その違いが話のかみ合わせを生み出していく…

同じように解決または達成に向けて思考を巡らしていると
自分の深度とその他の人の深度が違うことに氣づく…

それは他人同士なのだから当たり前なのだが…
それと同時に似たような氣づきを持つ者同士として
同じ感覚というものを確認したいという衝動も生まれる…
同じ感覚を持つ者同士として力を合わせたくなる…
…が 深度が違うから話が噛み合わない場面が生まれ
仲たがいをすることも多くあるのではないだろうか…

「時間の密度」という表現が腑に落ちた…

凄く理解できる…

逆説的に言うと…

解決または達成するためには「球体の思考」が必要で
「時間の密度」の概念を理解 共有できる人同士が
敬意のある関係性で似たような方向性で思考を巡らし
その「球体の思考」を分解 解きほぐしながら
いくつもの「面」に分けていきながら
どの人がどの「点」に興味を持つのかを見定め
その興味を持った人の前に興味のある「点」を
提示できるかが鍵…

そんな風に考えた…

どんな人にも解決または達成したいことは一つや二つはあるだろう…

それを解決または達成させてあげるという立場には無い…

それは本人の問題であり願望であるから他人がどうこうすることはない…
仮に…アドバイスを求められたり…
もしくは…ともに行動を起こす仲間として認識したならば…

先に書いたような思考が目指す方向へと導くと仮定して
そんな考え方を一度実践してみるのも良いかもしれない…

ただし…エゴに捉われている人の場合…
その全てではない…

エゴを排除する(理解する)作業が事前に必要…

これはまた「厄介者」でまた別の機会に話すとする…

「エゴ」は「厄介者」である…

理解しなければ「エゴ」に喰われる…





posted by MASH@ヒデ at 08:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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