2019年07月22日

徒然なるままに…精神世界との調和…

いよいよ参議院選挙の最終日…
明日は投票だが わたくしは妻と妻のお母さんと今日 期日前投票に行こうと思う…

今回の選挙では6年前の時より…
そのあとの衆議院選より…

フェイスブックなどの投稿を賑わしたように思う…

その投稿する層も少し変化したように思う…

結婚してからこれまで選挙には殆ど行ってる…

その時々にこれは!と思える人に投票するようにしている…
妻には妻の お母さんにはお母さんの投票したい人がいるだろうから
余り干渉せずに任せている…

日頃 家にいる時にどんな話をしているのか…
どんな会話を持ちながらテレビを見ているのか…

自ずと方向性とか決まってくると思う…




まだ選挙の結果は出ていないが…
おそらく…
そう遠くない未来に大きなうねりが始まると思う…

生き方…
価値観…
愛について…
女性と男性…

勿論…

政治や国や選挙や政党…

そういったものの既成概念は崩れると思う…

そのために少しだけ…
完全なる私見です…

昨日 やすとみあゆみさんの街頭演説をお手伝いに行った…

その時にやはり感じたことがある…

…この場に集う人は何故 この場にいるのだろう…

何かを求めているのか?
きっかけを探しに来たのか?
なにかの社会活動をしたいから来たのだろうか?
この人を当選させたいから来たのだろうか?
立ち止まる聴衆と通り過ぎていく人たちとの違いはなんだろう?
通り過ぎる人はどんな風に感じているのだろう?


いろんな想いが交差する…

…やすとみさんが到着して街頭演説が始まる…

「子どもを守ろう」

これがやすとみさんの普遍的なスローガン…
今回の参議院選挙の際に掲げ 変わることなく話し続けているテーマ…

何度目かの「子どもを守りましょう」と話された時に
やすとみさんの声が詰まる…

「子どもを守ろう」の反対側に守って欲しかった幼少期の想いが重なったのだろうか…

その心境…痛いほどわかる…

もちろん…分かり様はないのだが…
分かる気がする…

親に与えられた教育と概念と環境は
大人になっても付きまとうものだ…
それは痛いほど理解できる…

先だっての大阪 メルパルクホテルで開催された
大西つねきさんの講演…

JR尼崎駅で急ぎ足で開催された
渡辺てる子さんの街頭演説…

そして阪神西宮駅前で行われた
やすとみあゆみさんの街頭演説…

どの人にも共通している 感覚 は
そろそろやめて 住みやすい世の中をつくりませんか?
と言われている気がする…

特に 大西つねきさんとやすとみあゆみさんのお二人が
話す内容にいつも胸を熱くすると同時に安心してしまう…





『良かった…こういう人が出てきてくれて…』




これは本音…

このお二人のお話…
精神世界のお話…それを現実の世界とリンクさせるがごとく
分かりやすく届けてくれていると思う…


そして…


昨日の西宮でも感じた違和感…

その場に足を止める人の多くは…
その精神世界を理解するのにまだ整っていないと…

なぜそんな風に判断してしまうのだろうね…
自分自身…

その場にいた人は少なくとも似た様な感覚を持ち合わせているのだろうに…

そんな風に思ってしまう自分自身にも少し違和感…



と 何日か前から書き始めた日記…

昨日は参議院選挙の投票日で結果としては最低ラインはクリアかな…

まぁ…私ごときが何を申すのか…なのですがね(笑)





昨日は開票で活動仲間から開票が進む中
電話があった…

色んな話をその電話でした…

個人的に腹立たしかったのは
これまで封印してきたかのごとく
テレビなどで一切名前が出てこなかった

れいわ新選組

についての話題が取り上げられていること…

タイミングが違うだろう…

本気で取り上げる気ならこのタイミングではないことは
誰でもわかる…

れいわ新選組を支持している人たちへの
忖度なのだろうか…

それとも担当ディレクターの抗いなのだろうか…

何れにしても遅い…遅すぎる…

このタイミングではなんの効力も発揮しない…


そして政権獲得していく与党への評論…
各地での当選者に対しての評論…

吐き気がするほどおぞましく感じた…

仕事 なくなるもんね…
立場が微妙になるもんね…


投票日のお昼に『新聞記者』という話題の映画を見たあとだけに
このテレビという世界に住む人たちの無表情ぶりに…
或いは顔のツラの皮の厚さに…メディアの終焉を見た気がする…


れいわ新選組そのものの躍進ぶりは想像していたものと少し違ったが
それでもここまでこれたのは凄いことだと唯唯思う…

話を戻すがやすとみさんが街頭演説をしている中で
「足元の点字ブロックを空けておいてくださいね」と
発言された場面…

次に応援するときにはこれくらいのことはわかる応援者でありたいと思う…

自分自身も…そしてそれを支持する仲間も…






電話の向こうで聞いてくれるん仲間と次のアクションのお話…
点字ブロックだけじゃなくていろんな場面で私たち支持する方も大人にならないと…
そんな事を話す…
賢くならないと…

太郎さんが選挙後の会見で話ししているみたいですが…

隣の人とちゃんと話しないとね…

SNSとかその他にも便利なツールは沢山ある…
それを使ったら支持活動をやっている気にはなれる…

でもね…
それは本当の意味でのつながりとは少し違うと思う…
そこもこれからの自分の中での変化だね…なんて話しした…

これは終わりに向かっての始まりだと思う…
まずは終わらせないといけないことがまだまだ蔓延している…

それらを終わらせるためには…
それらを終わらせてあげないと次始められないのだということもわかった…

きっとこの蔓延している悪しき事柄も
止めることができないほどの苦悩を持ちながら…なのかもしれない…

自分自身の周りの人とどんな話ができる?
どんな人間関係がそこにある?
その向こうには一緒に出来ること
きっとあるだろうと思う…

それをまた何年間かやっていくだけ…

ゴングはまだ鳴りやんでさえないよ…
posted by MASH@ヒデ at 17:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月14日

徒然なるままに…想うこと…

今月21日が参議院選挙の投票日…
その日まではSNSも選挙ネタで大賑わいである…
日頃の活動がどちらかというとそういったことに寄っているので
致し方ない…

もちろん 嫌なことではない…

自身 目に止まる 『これは!』と思う記事はシェアしている…

昔 お店をやっているとき(今もほそぼそとやっているが)いろんな人に受けた忠告…

政治 宗教 野球の話はお客さんとしないほうがいい…

何故かそんなことを忠言してくれた…

まぁ…そんなことを言われたからといって素直に従うタイプでもないので
その忠言は無駄に終わりお客さんと夜中のBAR営業時間にバトルこともしばしばあったが(笑)

そもそも何故そのような発言があるのだろうか?

お客さんはお金を払って来ているのだから気分を害してはいけない

とか

お客さんに私見を押し付けて議論するなどもってのほか

とか

そう言う意識があるのかな?

それを言うなら同じタイミングで飲みに来ている人への配慮はどうなる?

声のでかい人が言う持論を違う考えを持つ大人しい人は聞くしかない?

店の中で割とそういう場面があった…

個人的には自分の考え方を言う事はそれほど悪いことと思っていない…
店の店主であっても お客さんとして行った店であっても…

少しだけ 嫌 だと思うことは誰かの考え方や思想を否定する発言に変わる瞬間…

それは少し嫌な感じがする…

自分の 正しい を証明するために
誰かの 正しい を否定する…

今回の選挙でも動画配信のコメントや投稿内でまだまだ多く見受けられる…

これは簡単なことで解決できるのに…
と 思いつつも
発言している人たちは解決する気はないことも知っている…

そう…

無責任に発言し
無責任に人を中傷し
無責任に誰かを悪者にしている…

そんな風に感じるのだが…

今回の選挙で 当事者 になる覚悟で立候補しているのだろうと見受けられる人が
数多くいると感じている…
あやふやな言い方ではあるが
その真意は当人しかわからないから
こういう言い方になる…

上辺だけの物言いなのか
それとも
心の底からの物言いなのか…

それも個人の感ずるところだから
わからないところ…

それであっても信じて良いと思える人の言葉には力があると思う…

当事者になる覚悟がない人が

正しいだとか間違いだとか言うことがそもそも少し子どもじみていると思う…
(子どもを蔑んでいる意味ではありません むしろ子どもの方が直感的に正しいことが多くあることは理解しています)

社会課題を解決しようと考え始めた時にぶつかる 幾つかの壁…

経済 承認欲求 権威 etc…

大きく分けると三つとか四つとか…

このどれもが実は問題を起こした当事者にも
問題と唱える活動側にもある…
(わかりやすく書いています)

経済については
貧富 貧困 搾取 制度など関わりの中で生まれる事柄…
多くを所有する方が優だという概念があるのだろう…
そこに向かって歩く道中…
いろんなところで篩にかけられ
誰か一人になるまでの勝ち抜き合戦をやっている感じ…
その篩から落とされたから課題だと謳うのか…
そもそもその方法論がおかしいと唱えるのか…
その人の生き様がそれを教えてくれる…


承認欲求はどういった立場の人であっても
その出来上がったコミュニティーの中で得たいという
欲求がその人の行動と発言に見受けられる…
ちなみに承認欲求については悪いものだとは思っていない…
誰かに承認されたいという欲求はおそらく誰でもあるのだろう…
問題と思うのは…

誰に 承認されたいのかが分かっていない承認欲求…

その承認欲求は出口のない欲求となり
とどまるところを知らない暴走列車になることがある…

コミュニティーの構築にもこの理屈は影響し
承認欲求が強い人の集まりに集う人はやはり承認欲求が強い人となるケースが多く見受けられる…

権威についても際限のない欲求であると考えている…
そしてそれらの問題の根底に有る原因と思えることは
市民側にも有って 経済的に豊かな人との関わり方 や
承認欲求の強い人との関わり方 や 権威主義の人との関わり方 
に表れる…



おそらく永きに渡って人は
そうやって自分自身が如何なる人か?を表してきたのだろう…

特別な誰か で居たいと思うのと
多くの中の只の一人との違いかな…

これについては自分自身(ヒデちゃん)は


特別な一人であり 多くの中の只の一人


という考えで腑に落ちている…



誰かにとっては特別であり
誰かにとっては多くの中のひとりである…

そんなところか…



誰かにとっては特別な一人

というものの存在が有ると

多くの中の一人であることも受け入れられる感覚を得れる…

まぁ…徒然なので…こんな感じです…







愛についてのお話をしてみよう…

先日 ある告白を頂いた…

といっても『あなたのことが好きです』のようなものではない…

『いま この人とお付き合いしています』
と告げられ「おめでとう 良かったね」
と返した…

愛かどうかはこれからの時間をかけて知っていくことになるのだろうが
先ずはおめでとうと思う…

そして愛について自分なりに考えながら
カレーを仕込んでいたのである…

愛…

そもそもいろんな概念が有り
どれが正しいとかのお話ではない…

自分が深掘りし
自分自身の中で腑に落ちたお話なので
何とも言えないが…

そもそも

深く愛する

という事を知るために

愛するのだろうか?
と考えてしまった…

例えば

自分の命を投げ捨ててでも
救いたい命の存在

とか…

自分に置き換えると
わたくしにはそういった何者にも代え難い命の存在が幾つかある…

家族とか…

妻も子どももその代え難い命である…

なんとなく考えていてそこにたどり着くために
人は 代え難い命の存在 に出会うために 愛 するのかと感じている…

この 愛 の対象は 自分と違う命 であると考えている…
猫の場合もあるだろうし
犬の場合もあるだろうし
同性の場合もあるだろうし
樹木や自然の場合もあるだろう…

そう考えると凄く腑に落ちることが多々有り
なるほど!!と唸った…

まだ言葉にするには整理できていない…


そんなお話もいつかできればと思う…


今日は日曜日…

これから友人が飲みに来る…

今日は少し
お酒を飲みながら
未来のお話をしたいと思う…




posted by MASH@ヒデ at 12:28| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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