と言うより 収益の有る無しではないところに事業の方向を見出してしまった
…そう言う方が正しいかも知れない…
収益になるとかならないとかよりも
リクエストがあったり
クエスチョンを投げかけられたり
それを模索提案し具現化している団体といったほうが正しい…
そんな中 時には無茶とも無謀とも言われるであろうことにも挑戦する…
今回はまさしく
無謀なチャレンジであった…
これまで何度となく助成金の申請を行ってきたのだが
何一つ獲得できずにいる…
それは申請書類を構成するテクニックの無さもあるだろうし
提案している内容が心をくすぐらないこともあっただろう…
であるにも関わらず…
更にハードルの高い所への挑戦を行った…
結果は神のみぞ知るであるが
伝えたいことはそれではない…
道があるからその道を行くのか
その方向に向かいたいから道を作るのか…
そんな精神のこと…
望めば手に入るというのとも違う…
行きたい方向の道を探す…
そして無ければ道を作る…
そんなイメージ…
一人でできなければその話を多くの人に伝えて
協力者 共謀者になってもらう…
お願いではなく
参加者の一人として…
まだ採択されていないし
採択されたとしても
それは始まり…
まだまだ高いハードルが待っている…
それでも突き進む…
色んなことを言う奴はいる…
それも聞き流しながら…
擦り寄ってきては離れていく人
遠くから傍観しつつ
いざという時に手を差し伸べてくれる人もいる…
信じるしかない…
人の良心とか願う未来像が似通っていることを…
何かを始めようとすると
ソレは出来ない やめた方がいいという理由を話し始める人もいる…
面白いと言いながら一緒になって頭を悩ませてくれる人もいる…
リスペクトする人の投稿に
できない理由を話し始める人と過ごすな
出来る方法を一緒に考えてくれる人と過ごせ
みたいなことが書かれていた…
本当にそう思う…
やれるやれないかは問題の本質でもない…
話変わって…
覚悟を共有している
あるいは同じくらいに覚悟している人との企画は楽しい…
こちらはリスペクトする方たちとの時間のお話…
口先だけでなく
行動とその人の雰囲気
そういったものに醸し出される…
それは自作自演では真似のできないこと…
そういった覚悟が共有できている人との企画は
何かしらの次の活動の原動力になりうる…
自身にとっても
周辺の人達にとっても…
大人は自覚しなければいけない…
この世界を構築してきた一人だと…
それを自覚できたときにある種の覚悟が生まれる…
自分たちで蒔いた種は自分たちで刈り取るしかない…
もしくは誰かの蒔いた種を一緒に刈り取ってあげることができれば
自分が蒔いた種ももしかしたら手伝ってくれるかも知れない…
ひとつだけわかっていることは
この種はいずれ刈り取らなければいけないということ…
それを誰かにやらせてきた…
あるいは見て見ぬふりをしてきた…
それも何処かで終わりにしないとね…
未来はそんな流れ作業みたいなものではないだろう…
未来はもっと希望に溢れていて
待ち遠しいものだろう?…
子どもの時は大人になって自由になれると思っていた…
自由を手に入れることができたと思っていた
けれど…
自由に選択しているつもりだった…
その実 不自由な中での選択に流されていた…
自由とは無縁のプロパガンダに誘導されてきた…
自由を奪うものに目を奪われ
自由を表すものに見向きもせず
ただひたすらそれらのものを追いかけてきた…
手に入れられないものに自由があると思い込んでしまっていたように思う…
何もないことが実は自由なんじゃないかとさえ思う…
それも極論だろうが…あながち間違いでもない…
何処に向うのかは実は知っているだろう…
一人で向かうのは確かに遠い道のりだろうけれど…
向かい始めたらチラホラと仲間のような人達と会える…
仲間と言える人たちと心から繋がれるように…
自身はいつも正直に…
奢り高ぶらず…
そんな風に生きていこう…