居るときは毎日のように近所のどなたかが訪ねてくれる…
パート帰りの少し年上のお姉さん…
お隣のすーちゃん…
すーちゃんのお友達…
そもそも近所同士が顔見知りだから
自分が入ろうとした時に路地を通る人がいたら
必ずと言っていいほど
「ここ カレー屋さんが出来たから一緒に行くか?」
とか
「懐かしいなぁ…見せてもらおうか?」
とか
外から声がしてガラガラガラと入ってきてくれる…
暖簾はもう少し待ってください…
現在構想中です…
そんなお客さんのほとんどは恐らく
spice curry なんて縁もゆかりもなかった年齢
好みであろうはずがない…
それでも食べに来てくれくつろいでくれている…
その姿を見ているだけで何故か胸が熱くなる…
きっと自分も 歳を重ねたからだろう…
そしてフッと思うことがあり
今日は少し整理しながら出来るだけ分かりやすい言葉と表現で
書いてみようと思った…
ある時…
正確には昨年 この物件と出会う少し前なので9月の終わり頃…
テレビを見ていて古い建築物が取り上げられていた…
確か山奥にある一軒家を訪ねる番組…
その番組で取り上げられた家を所有している人の言葉が
印象的で非常に納得できた…
「名もない昭和の古い物件だけど誰かが残してあげないとその家に暮らした人たちの歴史も消えてしまいそうで…」
そんなニュアンスの言葉をその家のオーナーとなった人が話していた…
深く感銘を受けそこから色々と考えが始まった…
昭和の高度成長期…
もっと言えば戦後の焼け野原…
そんな中
生きるか死ぬかの狭間で頑張ってくれた人がいたから
今のニッポンはある…
今の私たちの暮らしはある…
有名な建物や名所は国が残していく…
しかしながらそんな 国 を支えてきたのは
名も無き市民(国民)
じゃないのか?
そんな風に思い始めた頃に
今の事務所兼店舗兼フリースペースとなる
昭和の家
に巡りあった…
一目見て既に心は決まっていた…
改装を始めた頃は少しの後悔はあったが(資金的な面で)
それを想像が軽く凌駕していた…
そして潮江の中で人生の先輩に出会う…
大庄地区でも人生の先輩が つながり屋食堂 に食べに来てくれる…
手伝ってくれる…
この お年寄り と言われる人達を
わたくしたちは本当に心の底から思ったことがあるだろうか…
いつかは自分もその年齢になる…
少しの蓄えでは不安であったり
せっかく大きく育てた子どもはどんな風にその親を見ているのだろう…
様々な思いがよぎる…
わたくしはご存知の方も多いが預貯金一桁の男です…
ゼロ円の通帳を持ってます(笑)
なかなか ゼロ円 の通帳って無いと思うのでかなりレアです(笑)
話を少し変えますが…
先日 フェイスブックにGWの事を書きました…
GW中に 或いは終わってから自殺する人が増えるかもね…
という話…
その流れには続きがあって…
今のわたくしたちの世代…
その次の世代…
その次の世代…
非正規労働者や10連休を取れない人達…
わたくしには
昭和を生きた潮江や大庄の人たちがだぶる…
そんな風に世の中から置き去りにされていくのではないのか?
と…
社会の課題として取り上げられることはある…
高齢化の人が多くいる町は 課題 になってしまうのだ…
置き去りにしたのは誰?
切り離していったのは誰?
そしてわたくしたちもいつかは社会の課題として扱われる…
いわば 資本主義の残骸…
ビッグイシューが良い 出前授業 を行っている記事がフェイスブックに流れた…
いつか 仮)ハチノス にも来てもらおうと思う…
オファーしようと思っている…
ホームレスは社会の 課題 なのか?
その胸の内を理解しようとしたことはあるのか?
…あなたはそのどれにもならないと言えるのか?…
否…
そういうことではない…
いつまで勝ち負けだけの…
ゲームのような…
生きるという実感のない人生を続けていくのだろうか…
そんなふうに思う…
開けたばっかりのお店は潮江の地元の人が
『長いあいだ 空家やったから電気がついてるだけで嬉しいわ』
と言って訪ねてくれ
大庄で始まった つながり屋食堂 は頼りないおっさんの手助けを
人生の先輩と孫ほどの子どもがそれぞれの気づきで助けてくれている…
人は元々 そんな風に繋がれるものだ…
子どもの頃からあまり友達もいなくて身体も小さくて
裕福ではない家庭で育ち隔離されたような借家で暮らし
いつも比べられてきた幼少期…
いつも助けてくれたのは地元の幼馴染だった…
それがいつからか助ける側になり
そして今はまた助けられ…
そんな友達は今も友達…
幼い頃から高校生の頃までの友達は
今も変わらないまま…
10連休を取って海外へ旅行に行ける立場の人も
10連休など関係なく働かざるを得ない人も
いつか歳をとり人生に幕を落とす…
誰が悪いとか
誰が正しいの話ではなく
そろそろそんな世の中を
もう少し優しい温かい世の中にしてみない?
人は何一つ作れない…
水も
野菜も
米も
肉も
全てよそから いただいている…
いただいて生きている命…
その使い方くらいは
何かの…誰かの…ためになるように
生きるところから始めてみないかな…
ここのところ
本当にそんなふうに思っている…
今
NPO法人はち の活動を広めるにあたって
資料を整理してわかりやすくしている…
同時にいくつかの大きなうねりとなるような
否…
うねりになればいいなと思える企画も
展開し始めている…
それらの向かっている方向は
【良い世の中】
だと仲間と見えている(想像している)景色…
自分ごとで…
自画自賛で…
申し訳ないけれど…
間違いではないと
確信している…
個人的になってないところは沢山あるし
褒められるような人間ではないことは
自分が一番よくわかっている…
それでも自分の子どもや仲間の子ども
つながり屋に手伝いに来てくれる子ども
支えてくれている地域のおっちゃんおばちゃん
そんな人達のために何ができるのだろうう…
そろそろ 面白いこと を探すのをやめて
良い世の中を残していくことを
面白がらない?
あなたが頑張っているのは知っているから…
その 頑張り を誰かの為に使ってあげたら
あなたはすぐに認めてもらえるのに…
そんな感覚を知ったら
もう 良い世の中を残していくこと が止められなくなる…
爆弾を降らさずに飴玉を
鉄砲を手放して楽器を
リスペクトする人たちが話す言葉…
思考の迷路にはまりこむなよ…
誰に認めて欲しいのかがわかってない承認欲求は
いつになっても 何をなしても 終わらない…
その積み重ねが今のこの世の中なんだよね…
そこから早く 一抜けた しないと
命には限りがあるからね…
繋がっているけれどこの世の中では限りがある…
そろそろ本気を見せて欲しい…
どなた様も…