とか
侍であるならば…
とか
なんだか耳にすることが多くなった気がする…
そもそも日本に暮らす人のほとんどが
侍であろうはずがないし
日本人の解釈も様々で固有の種ではない…
朝鮮半島から流れてきた人と縄文時代から生きている
島で暮らす人の融合が日本人であるというのが
概ね外れていない解釈だろうと思う…
そこに南方系の血や東欧系の血が混ざり合い
今の日本人と言われる人たちであると考えている…
そのルーツをたどることが必要であり重要な意味を持つのであるならば
行うのがいいと思う…
自身はあまり重要性を感じていない…
むしろこの国で暮らしてきたという歴史や叡智は
重要に思う…
いわゆる 暮らしの文化 である…
武者とか侍という語句の意味するところは結局は
ピラミッドの中の一部であり下支えの意味である…
根本的にソルジャー(戦士)とは意味が違う…
そういう意味では日本にあったソルジャー(戦士)は
百姓一揆などで先頭に立った人ではないかと思う…
それは暮らしの中から生まれでたもので
普段から戦士たるや…で暮らしていたとは思えない…
明治維新の立役者たちを崇め奉る風潮はいつの頃からだろうか…
斯く言うわたくしも若い頃は坂本龍馬などに憧れを抱いたりもした…
今はあまり信憑性を感じないでいる…
様々な説が溢れているので信じようがない…
勝海舟のお話を子どもの時に読んだことがある…
それほど深く傾倒してはいないがよくよく考えてみると
彼に影響を少なからず受けていることに気づく…
勿論 書物であるからこれまた信憑性はない…
しかしながら美徳といった生き方や生き様をそのまま受け入れるならば
彼の生き方は心根の美しい方であろうことは想像できる…
争いが嫌いな方であったのだろう…とか
聡明な方であったのだろう…など
今 時代は何を欲しているのだろう…
時代というか地球というか命の巡りの分岐点とでも言うか…
人が中心の世の中から(勝手にそう思っていただけなのだが)
人も輪となって命で手をつないでいこうとしているような…
そんな意識改革が必要となされているように思う…
色々と企画書を書いたり企画の準備段階に入ると
時々宇宙をめぐる旅に出る…
自身の心の中の旅である…
そんな時には必ずと言っていいほど
そういうお話を必要とする方と過ごす時間が訪れる…
あーでもない こーでもない とお話しながら
実は自身の心に問いかけていることが多い…
口から出てくることは実は自身への問いかけであり
確認作業であるのだ…
先だっての篠山への道中でも
ラジオ局での待ち時間での世間話でも
必然的にそのようなお話をしてしまっている…
昨晩は妻と外食をした…
人生の先輩であり長くお付き合いのあるお好み焼き屋さん…
その場でも妻の職場のお話を聞きながら
いつもはあまり耳に入っていない様子の妻であっても
この日の雰囲気は少し変わっていた…
実践するのかどうかはわからないが少しは
何かのヒントになったのだろうか…
表情が おちている…
良い意味である…
自我が落ちているのである…
よくよく考えてみると
宇宙のお話と命のめぐりとのお話は
概ね全てのものと共通のような気がする…
宇宙が本質で命の廻りは方法…
自身の環境や問題と思われるトコロを
その理屈に置き換えてみると
何をなすことが解決することなのか?の
ヒントくらいは見えてきそうである…
時代の偶像は結局はわからない事の上に成り立っている…
本質や真実は誰にもわからない…
良い様に理解したいのは自身がそうでいたいからなのでは?
と それらをお話する人を見てフッと思う…
しかしながら偶像を見るのではなく行いと結果を見れば
その偶像にその人となりを少しは見いだせると思う…
自身がヒーローたるやの人生を願ううちは
まだ道は遠いということ…
そこから本質へはたどり着くのは難しそうである…
また意味不明な文章です…