2018年01月31日

徒然なるままに…コップの水…

例えば…

イベント一つで考えてみる…

主催者がいる
出店者がいる
来場者がいる…

主催者がこのコップにイッパイになるような水を望む
出店者もコップにイッパイになるように望む
来場者ももちろんコップにイッパイになるように望む…

考え方は順番…

主催者がイッパイになったあとで
出店者がイッパイになり
そして来場者がイッパイになる…

または

主催者と出店者と来場者がそれぞれ差し出したコップの中に
等しくなるような状況でいっぱいになることを目指す…

イベントのお話を例に出したのだが…

この理論が実は人付き合いの中で有効になることがある…

どちらかといえば差し出して皆で分け合う 分かち合う方を選択するのだが…

NPOの事業として様々にいただくお話をできれば拾い上げて役に立ちたいと思う…
それを受け取ることで何かが変わったり 変化するなら…

いくつかの事業は運営費そのものを稼ぐところから始まる…
捻出するという言い方が正しいか…

わたくしの仲間はどちらかというとわたくしの思考に近い気がする…
なのでこれまでコップのお話は浮かばなかった…

しかしながら…

事業を受けたり 進めていったり 打ち合わせの最中に
妙な違和感を感じることが多々生まれてきた…

されている事業や案件は間違いなく 世の中にとっては良い事…
であることは間違いない…

しかしながらどうも温度差を感じたり
納得されていない様子がうかがえる時がある…

何故なのだろう…
と考えるのだが…
どうやらコップのお話のことだとフッと気づく…

過去にわたくしも紹介していただいた方との会話で
同じような話をしてしまっていたことも
同時に思い出すのだが…


コップがいっぱいになることなら
やりましょう…
その様に聞こえる…
そしてコップに常に水を汲んでくれるようなら
意味のある事業だと行っているように思う…

それはきっと相手の本意ではないだろうが…
そう聴こえてくるのだ…

たとえ世の中が良いふうになることであっても
自身のコップがいっぱいにならないとやらない

という選択と

たとえ自身のコップがイッパイにならなくても
世の中が少しでも良いふうになるのならばやろう…

という選択

似ている…というか順序がここでも逆になる…

時々 出会う人の中に…

自身の暮らしを続けることができなくなるような活動は
活動ではない…のような事を言う人と会う…

もちろん

死を決してまでやれ!

とは思わない…

思わないが…

自身に影響のない範囲で世の中を良くしていくということが
可能なのだろうか?と思う…

もちろん人のさじ加減でそれぞれの居心地のいいスタンスがあるので
それを見極める気は毛頭ない…

そう思いながらやることはそれでいいと思う…

問題と思えることは…

コップに水をイッパイ入れてくれないと
或いはコップに水がイッパイにならないと
やれない やらない人の所へは良い縁は巡っていかないという事…

そのように思う…

毎回 コップに水が入らなければ誰かが助けてくれるだろうし
その謙虚で平和的な思考が未来を平和に向けて進めていくことだと思う…

イベントの運営委員会や実行委員会でいつもいう…

主催者と出店者と来場者

同じにはなれないだろうけれど
どの立場の人も80点位と
言ってもらえるようなところを狙っていけば
大体は良いイベントになる…

コップの水に気を取られて
足元がぬかるんでると
零してしまう…

そんなこともあるのだよね…
posted by MASH@ヒデ at 13:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月21日

徒然なるままに…動くということ…気づくということ…

先だって観た セヴァンの地球のなおし方 という映画…
昨日観た バレンタイン一揆 という映画…
素晴らしい時代に向かっていく兆しを感じる…

人はなぜ産まれてきたのだろう…

素朴な疑問を覚え
常に思考が先にあるのだが


ジョーのあした

という映画を観た。

辰吉丈一郎

浪速のジョーとして素晴らしいボクサー…

個人的に格闘技が好きで色々と見る…
とりわけボクシングは仲間内にもフアンが多くて
話は多岐にわたる…

必ずと言っていいほど出てくる名前だし
未だ現役…
46歳くらいかな…

彼の話はボクシングしかやって来なかった人だから出来る話と
そして
人として生きてきたまっとうな話が混在する…

先に挙げた二つの映画は社会問題を取り上げた
メッセージ性の高い映画…

ジョーのあした は個人のドキュメンタリー

少し違うように思えるだろうが
実は大切なメッセージがそこにはある…

そして戻って行く場所 というか
たどり着く真理 みたいな部分は実は遠く離れていない…

ひとりの少女が大人になって子どもを授かり
産まれるまでに考えてきたことへの精査というか…
そして何も変わっていない 変えようとしない大人たちへの
自身の決意のようなもの…
その根底には人の根っこのような感情があり
それはおそらくそんな人にもあると思うのだ…

アフリカに行った高校生と大学生の女の子もまた同じ…

人の根っこの話…

生善説だと思う…

フェイスブックやヤフーニュース…

飛び交う情報の真偽は置いといて…

実に様々なニュースが飛び交い
シェアしたり意見を述べたり
どこへ向かってその行為をしているのかは
分からないが自分も時々同じようなことをしている…

しかしながら大切なことは はじめの一歩 をどうやって
何処に向かって踏み出すかであって…
もちろんいきなり世の中が変わったり
平和が目の前に現れることなんてないと思う…

子どもがもっと幼い子どもの労働(児童労働)について考えている…

大人はそれを …そういう社会だから仕方ない…

と 言って切り捨てること…
本当にそれでいいのかな?

セヴァンの子どもが生まれてさらにその子どものために言い続ける…
活動し続ける…と言う…
その時代がそうであったから…
知らされていなかったから…
それは仕方のないことだったのかもしれない…

しかしながらね…

気づいたのですよね…
多くの人は…
一人では大した力はないかもしれないけれど
一緒に何かをやれば少しは変わるかも知れない…

そして…

気づいているのに気づいてないふりをするのは
なんの解決にもならないのですよね…
気づいてないふりを続けることを…
次の世代に残していく意外…

誰のせいでも無いと思う…
誰かのせいにしたいのとも違う…

そんなことはどうでもいいというのが本音だ…

それよりもこの多くの人が口にしている

次の世代

のことや繋がって巡っていく命のこと

真剣に考え始めないかと思っている…

辰吉丈一郎の言葉 生き様 想い

愛に溢れていると思う…

きっと何方も愛に溢れた時に
自分の 生きること を考え始めるのかな
やり始めるのかな…

そんなふうに思う…

だからこそ…
ならば…

愛でこの世界をあふれさせて
平和に向かってすりあわせていくときなのかな…

posted by MASH@ヒデ at 12:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月20日

徒然なるままに…ドタバタ…ジタバタ…

北海道から帰ったその足で神戸での打ち合わせ
二つ終わらせて家に着いたのは時計の針が零時を廻る少し前…

モチベーションが上がる打ち合わせ二つ…

疲れは吹っ飛んでいく…

北海道からの帰りの飛行機から見えた富士山の美しさ…
あの美しい光景は忘れないだろう…
昔の人はあの澄んだ空の中に浮かぶ富士山を畏敬の念で見守っていたのかな…

月曜日は豊中でのお話と千早赤阪村へと移動日和…

ゆっくりとたくさんのお話をする時間があって
なんだかホッコリとするとともに時代は確実に動き始めていることを再認識…
自然農のお野菜とイノシシの肉…
命を頂くという食事…実感できるひと時…

翌日は朝方のフェリーで香川県さぬき市へ…
秋に控えるイベントの打ち合わせと確認…
三月に予定しているイベントから連続で三回ほど一緒にイベントをする仲間…
企画の素案が上がってからの再訪問…
会場の広さがそれほど怖くなくなったのはアイデアがたくさん出てきたからだろう…
こちらはこれからの活動の土台になるような規模…
たくさんの学びをこのイベントを通してしていくことになるだろう…
そんなことを考えさせてくれる内容の濃さと準備の重責…
楽しみ以外 今はない…

帰りのフェリーに乗り遅れてしばしの思考の時間…
こういう時間があるのが有難い…
ゆっくりと整理しながらやるという習慣がないので
時々うっかりをやってしまう…

水曜日はお昼からは大庄おもしろ広場という
市民運営をしている中学校の廃校跡地での会議…
仕事に埋没していたので一年ぶりくらいの会議参加…
27日に開催する雪祭りの打ち合わせとその他の事柄…

代表の方には申し訳なく思う…
余りにも考え方が違う人達が集まる中で
すり合わせをしていくということがこれだけ難しいとは…

その部分は幾分ましになってはいたがそれでもかなりの難しさを覚える…
学びの場として参加しているのだが
今年はいっそう 担っていこうと思う…

夜は楽しみにしていた 東野健一さん を尊ぶ会だった…

神戸の仲間のお店 堀江座 での会…
東野さんの作品などのことで少しお話があったので早めに到着…
管理されている方とも想いの部分から企画の内容までお話できて
理解していただけたと思う…
二つ返事で お好きにどうぞ と言っていただけた…
有難い…

それほど深い知り合いではなかったのですが東野さんは人生に影響を与えてくださった
お一人であることは間違いないこと…
カレー作りにおいても演者という観点においても…
そしてなにより…
生き抜く ということにおいても尊敬しかない…
きっと出鱈目なところもあっただろうと思わせる豪快なところも
わたくしの中では愛でしかない…

木曜日はラジオ終わりの午後から街頭演説初体験だった…

尼崎の学校給食においての話…

国が行う政治のやり方を地方自治は真似をする…

まるで子どもが親の真似をするかのごとく…
それが 良い事 であっても 悪い事 であっても…

学校給食のことのみならず色んな思惑が絡みついているのは
一目瞭然のお話でその方向に 進めなければならなかったお話 なのだろう…

対処療法を続けていく…後にそれが対処になっていないということに気づく…

根底にある人の 生きる がそれらには反映されていないから
反対側の人たちの声が大きくなるまでの時間
なんとか持ちこたえている錯覚に陥るだけ…

もうね 諦めなさい と言いたい…
その 諦めなさい は人生や生きることや理想に向かって…
と言う事ではなく…自分の人生を飾り付け 誇張すること
に対して 諦めなさい と…

われわれはいつの頃かまでは自分の人生は自分のものだと錯覚して生きている…

だから まだまだやれる とも思うし
もっと上へ とも目指す…

それそのものが悪いとは思わない…
自分が向上していくことに必要な思いかも知れない…

しかしながらいつの時代も 次の命 が産まれ続けてて
いつかはその主役の座を譲らねばならない…

否…

主役の座というよりも活躍の場が移りゆく…

の方が正しい言い方かも知れない…

自分のことで生きる時間はそれほど永くなく
すぐに次の世代へとバトンを渡して
命の巡りをつないでいくのだろうと思う…

芝居で言うならば青春モノの主役はその世代が
人情物の芝居なら人生を多少経験している人が
老いた時代の芝居であるならば老いた人が

それぞれが自分にあった活躍の場で活躍するのが
人の人生の時間における役割だと思う…

話を戻そう…

その後 また打合せしておきたいところへと足を運び
ひとつ終えて大阪へ…

阪神電車に乗ることが最近多くなってきた…
空いているから楽だ…

大阪・中崎町での自主上映会へと足を運ぶ…
若い世代が自身のことと捉え始めている…
手を組み始めている…
豊かな未来を自分たちで考え 手にしようとしている…

上の話で言うならば…
わたくしたちの役どころはそれを応援することであり
支えることだと思う…
もちろん 自分たちで開催したいのであればそれはそれですればいいのだ…

若いそういう活動をしている人に必要なことは

どうすればもっと良くなるか?
どうすればこの上映会がもっと広まるか?
この上映会のどこが足りてない…

などの話ではない気がする…
もちろん 聞かれたら思うことを話しすればいいのだが…
まず必要だと思うことはその若者たちを尊敬することだと思う…
自分がその年齢の時に自費でそのようなことをやれていたのか?
やれていたとしてそれが今の時代にどのように繋がっているのか?
こういうことを正しく見つめ直すことをこれまでして来てないと思う…
だから世の中へのインパクトがどれだけあったかも考えたこともなく
このやり方が最も正しいやり方などと恥ずかしいお話を真顔でできるのだろう…

わたくしもズブの素人…
活動家でも政治家でも起業家でもない…
只の一人の生きる人…

その只の生きる人が思い描く未来はそれほど人を傷つけていいと思ってないし
暮らしていけなくなるほどの他人の犠牲を敷いて豊かになりたいと思っていない…

この上映会の若者も深く知っているわけではないが
その行いが人を表していると思う…
真剣なのだ…
真剣に人生に向き合い
真剣に未来を考え
自分にできる何かをやっているのだ…

この素晴らしい繋がりこそがわたくしたちが次のステージで後ろ支えしてでも
一緒に見てみたい未来へ向かう姿だろうと思う…

話変わって…

昨晩 寝付けずにいたのでYouTubeを見ていた…
だらだらと…

昔流行った マネーの虎 という番組が大量にアップしてある所に
たまたま到着したので流し見してた…

当時は一世を風靡した一代でのし上がった起業家たち…

番組の構成上 そうしているのかもしれないので見ただけでの判断はできないが…

お金を掴んだ人たちが全ての面で持論が正しいという展開…
そして参加者はお金にひれ伏す…
なかにはそうでない人もいるのだろうが…
あれから何年か時間が経っててあの当時に意見していた社長や
お金を無心に来ていた人たちは今はどうなっているのだろう…

その当時の意見をしっかりと振り返ることができているのだろうか…

そういう 不協音 が積み重なって人生の彩を濁らせていくように思う…

間違えていたなら間違えたことを理解し
次に進まないと間違えた道のまま邁進することになる…
それらが 他人 に与える影響はまた不協音を響かせながら
この世界を濁らせていく…

そんな風に思った…
posted by MASH@ヒデ at 13:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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